更新日:2022.11.01リハビリ壮絶なケアラー生活に取り入れられたらよかったと思うこと
近年はケアラー、ヤングケアラーの存在が社会に知られるようになってきました。
筆者は20代を介護者として過ごしてきた経験があります。いざ当事者となると、若さゆえの無知や家族特有の閉鎖性により、外部へ支援を求めることなく孤独に戦ってしまったと実感するところです。
本記事では、そんな閉じこもった世界に風穴をあける方法を、考えていきたいと思います。
目次
ケアラーを取り巻く状況
筆者の体験談をお話する前に「ケアラーを取り巻く状況」について、触れておきます。
ケアラーとは?
そもそもケアラーとは、こころやからだの不調を抱える家族や身近な人の、介護・看護・援助を無償で行っている人のことです。
埼玉県のWebサイトでは以下のとおり解説されています。
ケアラーとは、高齢、身体上又は精神上の障害又は疾病等により援助を必要とする親族、友人その他の身近な人に対して、無償で介護、看護、日常生活上の世話その他の援助を提供する者であり、そのうち18歳未満の方がヤングケアラーです。
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北海道のWebサイトでの解説も引用しましょう。
お世話を必要とする家族や身近な人に、無償でケアを行う「ケアラー」は、家族から頼りにされている一方で、周囲に悩みを理解されず、心身に大きな負担を抱えている場合があり、特に、ヤングケアラーは家庭内のデリケートな問題であること、本人や家族に自覚がないといった理由から、支援が必要であっても表面化しにくい構造となっています。
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ケアラーは、「支援が必要であっても表面化しにくい構造」であることが指摘されています。
近年はケアラーへの支援が広がりつつある
「ケアラー」という言葉が広く知られるようになったのは、ここ数年のことです。
以下はGoogleトレンドの過去5年の動向ですが、2019年以降、注目が集まっていることがわかります。
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出所)Googleトレンドより筆者作成
注目の高まりは、2020年3月施行の「埼玉県ケアラー支援条例」、2022年4月施行の「北海道ケアラー支援条例」など、支援を広げる動きへつながっています。
なぜケアラーは助けを求められないのか
筆者は人生の早いタイミングで、病気の両親の介護、幼いきょうだいのケア、経済的な支援を行うことになりました。
最も壮絶だった時期を振り返ると、
「なぜ、助けを求めなかったのだろうか」
と自分でも不思議に思うほど孤立していたのですが、当時は、助けを求める発想がありませんでした。
その理由を、振り返ってみたいと思います。
「一番つらいのは私じゃない」と言い聞かせ続けた
最も大きな原因だったと感じるのは、
「一番つらいのは私じゃない」
という思いが強かったことです。
苦しいのは病気と闘っている本人で、それを支える立場にある自分は、弱音を吐くべきでないと思っていました。
下にきょうだいがいたこともあり、
「自分よりも低い年齢で試練を経験している、この子のほうが大変だ」
という思いもありました。
客観的に振り返れば、明らかに認知のゆがみです。今なら、ケアラー自身がどれだけ「ケアラーならではの痛み」を感じているのか、よくわかります。
しかし、当事者となると、「自力で何とかするしか道はない」と強い信念で思い込んでいました。
知識不足と家庭という閉鎖空間
年齢的な若さもあり、どんな支援を受けられる選択肢があるのか、知識が不足していました。
知識不足に拍車をかけたのは、「家庭」という閉じた空間です。
聞きかじった知識で、障害年金など制度の利用を家族に提案しても、
「どうせ無理、申請しても通らない」
などと一蹴され、そう言わればそういうものかと、話はそこで終わっていました。
生活保護に関するバッシングが世をにぎわせたこともあり、福祉制度の利用は、
「他人に迷惑を掛ける」
「周囲に知られたらまずい」
という誤った認識が、筆者の親にはあったようです。
善意の第三者からの苦い経験
孤独な戦いを続けていたある日、親の旧友が来訪したことがありました。どこかで闘病を知ったらしいのです。
そのときは、心を向けてくれる人の存在が、純粋にうれしかったことを覚えています。
しかし、その方が勧めてきたのは宗教でした。勧誘だったのです。この出来事は、筆者の心に暗い影を落としました。
健康・医療の分野では、さまざまな人が主義主張を繰り広げています。
宗教以外にも、民間療法から海外の医療情報まで、たくさんの人が善意で「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と言ってきます。
筆者はたいへん疲れました。
やがて、
「人は信用できない。弱っているところに付け込んでくる。家族を守らなければ」
と、心の鎧は頑丈になりました。
閉鎖的な空間に風穴を開けるカギ
どうしても閉鎖的になりがちな空間に、風穴を開けるために、どうすればよかったのでしょうか。
振り返って、カギだと感じるポイントを挙げてみます。
ソーシャルワーカーからたくさん教えてもらう
まず「ソーシャルワーカー」です。
筆者がソーシャルワーカーの存在を知ったのは、ケアラー生活の終わりが近くなってからでした(それほど無知でした)。
▼ 参考:医療ソーシャルワーカーとは?
保健医療機関等において患者や家族の相談にのり、社会福祉の立場から経済的・心理的・社会的問題の解決、調整、社会復帰を支援する。
病気やケガで治療が必要になった時、収入や治療費がない、職場復帰できない、病気に対する不安があるなど、患者やその家族だけでは解決できない問題が起こる場合がある。このような時、患者が安心して適切な治療を受け、社会復帰ができるように支援する。
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最後に転院した大きな病院は、支援体制が充実しており、ソーシャルワーカーと面談する機会が設けられたのです。
「前の病院にもソーシャルワーカーっていたのかな」
「もっと早く相談したかった」
と思いました。
治療費や生活費のこと、退院後の行き先など、誰にも相談できなかったことを相談できる場が、そこにありました。
勧誘や医療情報で、混乱させられる心配もありません。
筆者自身の状況も聞いてくださり、衝撃といっても過言ではないほど、ハッとしました。
ずっと、「闘病している本人」が世界の中心にいる主役で、ケアラーである自分にスポットライトが当たることは、なかったからです。
ソーシャルワーカーとの接点は、間違いなく風穴となりました。
自分の尊厳と健康を堂々と守っていいし楽しんでいい
「家族が苦しんでいるのだから、自分も一緒に苦しんでいなければいけない」
という鎖を、早く断ち切れていたなら、皆がハッピーになれました。
ケアラーこそ、自分の尊厳と健康を堂々と守るべきですし、ケアラーが元気でいることが、全体によい影響を与えるからです。
最近のことですが、深刻な闘病生活中の家族に出会いました。
ケアラーの立場にある方も、「それはそれ、これはこれ」と割り切って、楽しむときには全力で楽しんでいました。
闘病に関しても、ときに不謹慎に思えるほど毒っ気のあるユーモアで、笑いにしていました。
「ああ、壮絶なときこそ、人間にはユーモアが必要なのだ。生き抜くために」
と、学んだ出来事です。
リモートワークを見据える
筆者は、「パソコンひとつあれば、どこでもできる」というワークスタイルを構築していたため、これに関しては非常に助かりました。
ケアラー生活では、
「一瞬も目が離せない。外出などもってのほか」
という日々も少なくありませんでした。
しかし、まったく仕事ができないと、今度は経済的な不安が大きくなります。
幸い、近年では急速にリモート化が進み、リモートで取り組める仕事の選択肢も多くなりました。
柔軟に収入源を確保できるよう準備することが、精神的な安心感を得るために、役立ちます。
ケアを終えたケアラーとつながる
現在の筆者は、すべての問題が片づいたわけではありませんが、一時期と比べれば、はるかに落ち着いた状況にあります。
余裕が出てきて思うのは、
「この経験を誰かのために、活かせないだろうか」
ということです。
同じように考え、ボランティアを志望される方もいると聞きます。
ケアラーならではの苦しみを、ケアラー経験者とシェアできたら、少なくとも孤独の痛みは軽減できるはずです。
さいごに
本記事では「ケアラー」をテーマにお届けしました。
さまざまな方の尽力で、「ケアラーのケア」という概念が広まり、埼玉県や北海道のように条例の施行が進んでいることは、とてもありがたいことです。
誰かひとりが犠牲的に引き受けるのではなく、痛みを分け合いながら、ユーモアを忘れず、ケアラーも自分らしくいられたらと思います。
注釈
*1
出所)埼玉県「ケアラー(介護者等)支援」
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0609/chiikihoukatukea/kaigosya-kouhou.html
*2
出所)北海道「「北海道ケアラー支援条例」の制定について」
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tkk/koho/kouhou-shiryou/107579.html
*3
出所)Googleトレンドより筆者作成
*4
出所)職業情報提供サイト「医療ソーシャルワーカー」